閉じこもり恐怖症
私のように家族が閉じこもりでどこへも出ないとなると、いろいろな所に事情を話して出ていけない理由を説明しなくてはなりません。これが体の病気ならたいした説明はいらないけど、こころの問題で外出できないというのは、なかなか理解されなくて大変です。
「全然起きられないんですか。一日中寝てるんですか」
「たまには外出したほうが気晴らしになると思いますよ」
「そういうのは甘えじゃないですか」
確かにこういうのは、自分や身近な人に経験がないと、なかなか理解するのは難しいのはわかります。自分だって、こうなる前に他の人から話を聞いたら、そう思うでしょう。相手がそれほど親しくない場合は、「医者が休ませたほうがいいと言ってます」でやれACだとかトラウマだとか難しい話をしないですましてしまいます。しかし、きちんと説明しないと納得してもらえなかったり、不信がられたりすることもあるので、それが悩みでした。
一時期は、そういうことをどう説明したらいいのか、と悩んでいるうちに自分がおかしくなってきて、それをきっかけに自分の中に潜在していた問題に気がついたのですが、これはこれで別の話として、その困難さをいろいろ分析しているうちに気がついたことがあります。
それは、世の中には「閉じこもり恐怖症」とでも言うべき人がいるということです。これは自分が「閉じこもり」をすることが嫌だということではありません。自分が嫌なのは当たり前のことで、閉じこもりをする本人だって、それが楽しくてやってるわけではなく仕方なくやってるわけです。私が「閉じこもり恐怖症」と呼ぶのは「閉じこもり」という行為を自分の身近な人間がすることに恐怖を感じる、またはそれが絶対許せないという人です。
こういうタイプの人とは、議論がはてしなく続き、終わった後も非常に消耗します。何でこんなに疲れるのか、いろいろ考えているうちに、彼らは自分が「閉じこもり」すなわち「孤独」を病的に恐れている、それが強すぎて他人が「閉じこもり」をするという行為が許せないのだ、ということに気がつきました。こういう人たちの特色を書いてみたいと思います。
「閉じこもり恐怖症」でないという人の典型的な反応はこうです。
「本当に本人がそんなことを望んでるんですか?」
「そうなんですよ」
「へえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
とにかく、あきれたりびっくりして終わりです。ただ、びっくりはするけど、当人が望んで外出しないでいるというと納得します。その後は、それがいいとか悪いとかじゃなくて、善後策の検討に入ります。当人が出て来れないならば、どうしたらいいかという話にすぐ移れます。
「閉じこもり恐怖症」の人は、もっと親切です。相談に乗ってくれるのです。いろいろ詳しい事情を聞いて、アドバイスというか「こうしたらどうですか」ということを考えてくれます。外出できないなら自分が行くとか、それもダメなら電話、手紙、ありとあらゆる手段を使って、いろいろ当人にアプローチしようとします。
ところが「閉じこもり」の本人はとにかく一人になりたいのです。他人と一切接触したくないのです。道で知らない人とすれ違って、相手が自分の顔をチラっと見るだけのこともすごい刺激になってしまうのです。これが、拒食や不眠のきっかけとなることもあるので、今の状態ではどのような接触も避けるしかないのです。
私も最初からそういうふうに思っていたわけではなくて、いろいろ試行錯誤してみて、これしかないという結論になったので、そういう経緯を説明していきます。このへんから、話がややこしくなるのですが、毎日、接触している家族が経験を踏まえてそういう話をしたら、少なくとも当面はほっとくしかないと納得してもらえると思うのですが、そうは行かないのが「閉じこもり恐怖症」です。
私としても、それが本当に良いのかいつも悩んでいますから、相談にのってもらえるのはありがたいと思って詳しく説明するのですが、だんだんとこのへんから話がおかしくなってくるのです。特に、「閉じこもり」をすることで、本人はある部分楽になってる、とか、こういう段階も必要なんだと思うというと、すごく否定されるのです。
「閉じこもり」には確かに悪いことはたくさんあります。気分が変わらない、自分ひとりの考えだけで悪い考えがぐるぐる回る、体力が弱って気が弱る・・・あげていけばきりがありません。しかし、長年の観察でわかってきたのですが、いいこともあります。言うのが難しいのですが、ある種のパワーが自然についてくるのです。自分の家族だけではなくて、他で見た「閉じこもり」の経験者を見ても思うのですが、すごく自然な穏やかさ、自分の中に自然に芽生えてくる自信、非常にクリアな思考、ポイントをついた話をする力・・・ある種独特のパワーとしか言えないようなものが身についている人がすごく多いのです。
こういうレベルのプラス面をあえて言わなくても、とにかく本人はそれで楽になっている(目に見える症状やいろいろな問題はおさまっている)から、それが一番いいと思うということを言うのですが、「閉じこもり恐怖症」の人はこの事実をなかなか受け入れてくれないのです。
「それが本当に本人のためなのでしょうか」
「後になって状態が変わった時にそれでいいと思えるのですか」
「一人で変な考えに突っ走ってしまうのではないですか」
私はこういう言葉にいちいち揺れ動いてしまったのですが、だんだんとわかってきたことは、そういうことを言う人たち自身のこころの中に大きな恐怖があることです。そういう人たちは、社会から切り離されてひとりで立っているというあり方を見ることを恐れているのです。ひょっとしたら、これは日本人が誰でもこころの中に持っている大きな問題なのかもしれません。でも、今は私もその正体がよくわかっていないので、とりあえずはこのへんで終わりにします。