広がっている「日本」にアイデンティティを持とう

「日本はもう立ち直れないと思う」というこのエントリが、はてなブックマークで大きな話題になっているのだけど、これは、言語と経済と政治と文化と生活と安全保証の国境が全部同じである「日本」という単位が消えるという意味ではないかと思う。そして、そういう全部ワンセットの「日本」というものに頼っていると、あとで困るよという話。私はそう受け止めた。

たとえば、このエントリは日本生まれで海外在住の人が日本語で書いている。「日本」と日本語のWebの世界はもう随分違っていて、海外在住の日本人の書くブログも渡辺千賀さんや梅田さんだけじゃなくて、他にもたくさんある。逆に、外国生まれで日本に住んでいる人が書いているブログもいっぱいある。

日本語圏は世界中に広がっているけど、隣近所が全員日本語を話し日本企業に勤めていて友達が全部日本人である「日本」は縮まっている。

言語と経済と政治と文化と生活と安全保証の国境は全部ずれてきていて、それぞれの利害関係が全然違う。全部ワンセットにして間に合わせようとすると、それら全てが重なる範囲だけを「日本」と呼ぶことになり、それは確かに縮まっていて、前のように戻ることは無いだろう。

逆に、それを融通無碍に使いわけることができれば自由度が増す。

iPhoneは、「海外で最も手に入れやすい日本語が使える携帯電話」であるし、「外国から来た人が日本で最も手に入れやすい母国語が使える携帯電話」でもある。

WBCで日本が勝ち続けたとしても、日本国内のセ・パ両リーグの実力が世界レベルであることにはならない。逆に、優秀な選手の流出を強行手段で差し止めれば、国内のリーグの実力は上がるだろう。

渡辺千賀さんがベストケースの例としてあげたフランスは、経済の単位はずっと大きいEUになりつつある一方、海外から来て住みついたフランス人も多くなっているのだから、生活や文化の実態は細分化しているのではないか。ワーストケースの「極端で独りよがりな国粋主義」とは、ワンセットの「日本」にこだわる人が多かった時ということだろう。

それに「シリコンバレーで働く」とは、「アメリカで働く」という意味ではないと思う。

この記事によると、Facebookのユーザで一番多いのは当然アメリカなのだが、それは「全オーディエンスの30%を占める」にすぎないそうで、こういう会社はシリコンバレーの会社であってもアメリカの会社ではないだろう。全部ワンセットの国民国家が消えつつあるという現実が一番良く見える場所ということだ。

日本も、言語と経済と政治と文化と生活と安全保証のそれぞれにおいて、最適な国境線を引いて、使いわけていかなくてはならない。いや、そうではなくて、国民一人一人がどこに自分が所属するかということを、ひとつひとつ考えていくことが必要になって、その結果、全部の国境がずれてくるのだ。

「とりあえずビール」と言うとビールと枝豆が出てくるような、サービスのいい「とりあえず日本」は、もう消えていくことは確実だ。でも、日本語も日本経済も日本政府も日本文化も衰退することは無いと私は考えている。ただ、それら全てと日本人との関係は、もっと複雑なものになっていくだろう。日本語にも日本経済にも日本政府にも日本文化にも、外国の人がたくさん流入してきて、それによって活性化し拡大していくと予想する。

そういうふうに、ズレつつ広がる国境線の総和を「日本」と思えば日本は発展していると言えるし、全部重なる所だけを「日本」と思えばどんどん日本は縮んでいる。だから、ベストケースとワーストケースは両立し得る、解釈の問題だと思う。同じ現実を生きている中で、ひとりひとりがどちらを選択するかを迫られるということだ。

「メジャーリーガーが中心選手だからWBCで優勝したあのチームは「日本」のチームではない」と言う人は少ないと思うけど、それと同じセンスで自分のアイデンティティを持つようにすればいいのだけのことだ。もちろん、その為の個別の意思決定は、個人にとっても集団にとっても随分複雑なものになるかもしれないけど、そうやって生きてきた人たちもこれまでにもたくさんいたわけで、日本人だけにどうしてもそれができないということはないだろう。


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